「凛として、強く」 久美


              「凛として、強く」 久美

今回は、フラワースクールの経営者/講師としてご活躍されている久美さんをお招きしました。弾けるような笑顔と笑い声が印象的な久美さんですが、壮絶な乳がんの体験、リンパ浮腫の経験を経て、学んだことがたくさんあったといいます。「心から笑えなかった」という久美さんが、強く、凛と生きられるようになるまでを語ってくださいました。

enStylers:リンパ浮腫とともに、自分らしくstyleをもって生きるひとたち

 

人生を楽しむための時間を

encyclo Style 編集部(以下、編集部)

久美さんは、フラワーアレンジメントの講師をしていらっしゃるそうですが、もともとお花がお好きだったのですか? 

 

久美

お花も好きですが、それ以上に「人に教えること」が好きなんです。以前は銀行員をしていたのですが、本当は教師になりたくて。なので、就職後も、趣味だったフラワーアレンジメントの教室にいくつも通いながら、「いつか自分のサロンを持ちたい」と夢見ていました。 

念願が叶って、自分のサロンを持てたのが26歳のとき。フランススタイルのフラワーアレンジメントや紙を加工してレースのような模様を表現するパーチメントクラフトの講座を通じて、「人生を楽しむための時間をめでる機会」をお届けしたい-。「心豊かな大人たちの社交場」を目指して開いたサロンは、いつしか100名近い生徒さんが集う場になっていました。 

 

大好きなお花に囲まれたレッスン風景。

 

編集部

サロンの運営も順調で、生徒さんも増え……、でも、そんな矢先に、乳がんが見つかったのですね。

 

久美

そうなんです。がんと分かったときは、悲しみよりも、一瞬、何が起こったのか分からなくて、「教室をどうしよう……」と、頭の中が真っ白になりました。こんなとき、普通はショックで泣き崩れたりするのかもしれませんが、私の場合はショックを通り越して、「1年後には、自分はこの世にいないだろう」と勝手に思い込んでいました(笑)。 

 

編集部

そのときのことをもう少し詳しく教えていただけますか?

 

久美

実はかなり前から自覚症状はありました。でも、乳がん検診でエコーやマンモグラフィーを受けても、針生検をしてもがんは見つからず、結果的に2年も放置されてしまいました。 

不幸なことに、私のがんは、乳管を這うタイプのがんで、乳がんに典型的なしこりができないタイプでした。なので、触診や画像診断が専門の先生でも見つけにくかったのです。 

確定診断を受けた際、がんはすでに8㎝以上あり、もちろん「全摘出」を勧められました。 

 

 

諦めきれなかった思い

編集部

とても辛い決断だったと思います。先生の言葉をどのように受け止められたのですか?

 

久美

命のためとは分かっていても、やはり女性ですから、胸を切除することはどうしても納得できませんでした。セカンドオピニオンどころか、3つ、4つとすがる思いで受診し、乳房を残してくれる病院がないか、必死で探し回りました。そして、ようやく、温存できるかもしれないという病院を見つけました。 

 

編集部

何が何でも乳房を残したいという久美さんの思いは、叶えられたのですか?

 

久美

切除しないことをあれほど望んでいたのに、「乳房を残すより命を大切にしてほしい」という母の言葉に決心が揺らぎました。さらに、手術前夜の最終判断で、乳房は残せないという判断が下りました。

もう、泣いても叫んでも、全摘以外の選択肢はありませんでした。その日は家族に帰ってもらい、一人で夜通し泣きました。そして、泣き腫らした顔のまま手術に臨みました。泣きすぎて、手術のときは、不思議と晴れやかな気持ちでした。

 

編集部

手術後はいかがでしたか?

 

久美

すぐに現実が襲ってきました。というより、昨日まであった乳房がないなんて、しばらく現実が受け入れられませんでした。胸も見られない、鏡も見られない、術後数か月は、お風呂も電気をつけずに入っていました。私にとって、乳房を失うことは、それほど辛く、悲しく、受け入れがたいことだったのです。 

 

編集部

現実と向き合えるようになるまでには、かなり時間が必要だったのではないでしょうか。

 

久美

手術台に乗ってしまえば、まな板の鯉です。その後の治療は、敷かれたレールの上を進んでいき、身体の傷は時間とともに回復していきますが、心が上を向くまでに3~4年かかりました。自分でも「こんなに時間がかかるの?」と思うほど、長くて辛い時間でした。その間、心から笑えることもなかったように思います。

 

 

自分だけ時が止まった

編集部

その間、そばで支えてくれた人はいましたか?

 

久美

「家族」と言いたいところなのですが……(笑)。がんになって、家族だからこそ言えないこと、甘えられない本音があることを知りました。 

毎晩、夜中の2~3時ごろになると泣けてきて、ネガティブなメールを友人たちに送りつけ、疎ましがられたりもしました。その時は、ただ、共感してほしかったのだと思います。 

支えてくれようとしている人がたくさんいたのに、誰の励ましや言葉も素直に受け取れなかった。今思うと、術後の鬱だったのかもしれません。 

それまでの私は、自分の意志で道を切り拓いて、やりたいことを叶えてきました。若くて、勢いもあって。なのに、ある日突然、世の中の流れから自分だけ切り離されてしまった。時が止まる怖さを初めて知りました。

日常が動いている友人たちにとっては、暗い内容の長文メールが毎日送られてきて、かなり迷惑だったと思います。でも、それをするしかなかった自分がいました。 

 

 

「できた!」の積み重ね

編集部

長くて辛い3~4年の間に、心を上向きにしてくれるような出来事はありましたか?

 

久美

がんの治療が一通り終わったあと、10㎞マラソンに挑戦しました。手術をしたのが1月、マラソンに出場したのはその年の11月です。完走できるか不安もあったのですが、術後でかなり痩せていて、身体が軽く、1時間を切る大変よいタイムが残せました。 

 

編集部

手術をされて、抗がん剤、放射線治療、それだけでも体力が落ちてしまうと思いますが、数か月後には10kmマラソンですか!?かなり思い切った挑戦をされたのですね。

 

久美

がんが見つかったときから「1年以上は生きられない」と勝手に思っていましたから、生き急いでいたのでしょうね。とにかく「今やらなくては!」と必死でした。でも、やってみたらできた。これがよかったのだと思います。 

ちなみに、その後数年の間にフルマラソンも走りましたし、富士山にも2度登りました(笑)。 

 

術後の挑戦の一つ、富士山登山。満面の笑みでポーズ!

 

編集部

「できた」の積み重ねが、自信につながっていったのですね。

 

久美

そうだと思います。ほかにも、友人がベトナム旅行に連れ出してくれたり、結婚式に招いてくれたり。食事、飲み会、旅行……。そんな日常を積み重ねながら、以前の自分や生活を少しずつ取り戻すことができました。

そして、スポーツジムに復帰できたことも、大きな自信になりました。みんなと一緒に着替えもできず、ウィッグを気にしながらぎこちない動きだったと思いますが、それでも、ダンスのプログラムにフルで参加できたとき、止まっていた時間が動き出した気がしました。

 

編集部

時間が止まっていても、久美さんは歩みを止めなかったからだと思います。フラワーアレンジメントの講師のお仕事には、いつ復帰されたのですか?

 

久美

手術後しばらくは、諦めの気持ちが大きく、大好きだった仕事に向き合うこともできませんでした。1年間は別の先生に代講をお願いしていたのですが、クリスマスのレッスンから思い切って復帰することにしました。

このときの私は、ウィッグがとれたばかりで、髪はチリチリのベリーショート、とても痩せていて、生徒さんたちはかなり心配してくれていたようです。でも、そんな姿でも、大好きな場所に戻れたことは、さらに前に進むための自信となりました。

 

 

腕の腫れ=蜂窩織炎!?

編集部

リンパ浮腫のご経験についてもお伺いしたいのですが、久美さんがリンパ浮腫を発症したのは、手術からかなり経ってからですよね?

 

久美

6~7年後くらいでしょうか。それまでも右腕が浮腫んでいるように思ったことはありましたが、リンパ浮腫についての知識もほとんどなく、あまり気にしていませんでした。術後、手が上がらなくならないよう、手術の翌日からリハビリはありましたが、リンパ浮腫の説明は印象に残らない程度だったと思います。 

 

冬のある日のこと、乾燥して痒くなり、爪で搔きむしってしまいました。その後、手の甲が腫れ、腕が一段と太くなりました。このときの私は、リンパ浮腫の知識がほとんどなく、「腫れ=蜂窩織炎」と考えており、もっと赤く腫れたらどうしようと蜂窩織炎の心配しかしていませんでした。 

 

編集部

「リンパ浮腫についてもっと知識があれば」という後悔もあったのではないでしょうか?

 

久美

がんの副作用でこんなことが起こるなんて思ってもみませんでした。事前に知識があれば、もっと早く気づけたし、前もってケアできたかもしれない、そう考えると少し悔しい気がします。乳がんの手術を受ける際には、リンパ浮腫の説明だけでなく、リンパ浮腫を予防するための具体的な注意事項なども詳しく教えていただけるといいですよね。

 

 

弾性スリーブのすすめ

編集部

赤く腫れてしまったあと、すぐに受診されたのですか?

 

久美

はい。初診でいきなり、リンパ浮腫の中等症と診断されました。 

腫れがかなりひどく、専門の病院でLVAを行い、手の甲の浮腫みはかなり改善しました。でも、それで安心してしまって。気のゆるみと暑さから、夏の間、弾性スリーブを着けずに過ごしたら、1か月検診のときに、見事にリバウンドしていて、先生に厳しくご注意を受けてしまいました。以来、弾性スリーブは欠かさず装着するようになりました。 

 

編集部

その後、もう一度手術を受けたのですか?

 

久美

はい。1度目は全体的なリンパの漏れを減らすために太いリンパ管と静脈をつなぐ手術を、2度目は症状が残る特定部位の漏れを減らすために細いリンパ管と静脈をつなぐ手術を受けました。

2度目の手術で、肘のあたりの腫れもかなり改善しました。しかし、腕の一部に太さが残ってしまった部分があり、別の手術を希望したのですが、手術のリスクを説明され、断念しました。現在は、月に1度、専門のリンパドレナージに通うなど、定期的なケアを続けています。 

私は、自分の細い腕や手首が大好きで、「あの腕と手首を取り戻したい」という思いがありました。でも今は、「腕はこの程度まででも、手首の細さは戻ったのでよし!」と思えるようになりました。 

 

編集部

リンパ浮腫の保存療法、弾性スリーブの着用には、多くのハードルがあると思いますが、続けるための工夫などはありますか?

 

久美

私は患部が右側なので、左手でバンテージを巻くのも大変ですし、昼夜問わず、圧の強い弾性スリーブを着用しなければならないのは、それだけで常にストレスでした。 

スリーブは種類も少なく、分厚くて、服に引っかかったり、長すぎて袖口から見えてしまったり-。素材が肌に合わず皮膚炎を起こしたこともあるため、圧が少し弱くても、できるだけ肌触りのよいものを選ぶようにしています。 

色は、黒の無地のものを選ぶと、袖から出ていてもそんなに気になりませんし、「日焼け止め?」と勘違いされることもあります(笑)。医療用スリーブを着けていても、意外と気にされないものなので、最近では、人前でも堂々と着用するようにしています。 

大事なのはきちんと続けること。今では、外科手術やセルフケアの甲斐もあり、主治医の先生の指導の下、スリーブを外してもよい時間を作れるようになりました。 

 

友人との会食。人前でも、黒のスリーブを隠さないのが私流。

 

 

なるようになる!

編集部

調子がいいときや悪いときもあると思いますので、自分と相談しながら、状態にあったケアを続けていくことが大切ですね。リンパ浮腫とうまく付き合っていくコツがあれば教えてください。

 

久美

若いころは、「こうあるべき!」「こうしなきゃ!」と肩肘張っていたところがありました。でも、乳がんになり、人生が180度変わるような経験をして、人間的にも少し柔らかく丸くなれたように思います。 

 

乳がん、そして、リンパ浮腫になって、「どうあがいても叶わないことがある」ことを知りました。そんなとき、ある人からこう言われたんです。「なるようになる。なるようにしかならん。」と。それからというもの、この言葉を自分に毎日言い聞かせてきました。 

 

本当は-、まだ受け入れられていないし、一生乗り越えることなんてできないのではないかと思っています。私の負ってきた心の傷は、自分の中では消すことはできません。でも、仕方ないと考えるようにして、なんとか生きていくようにしています。がむしゃらに頑張るわけではなく、少し肩の力を抜いた「なんとか」が、大切なコツだと思っています。 

 

編集部

深い悲しみを経験された久美さんだからこそ、そのことに気づけたのかもしれませんね。

 

久美

このインタビューのお話をいただいたとき、前向きな話、頑張っている話をしたほうがよいのかと悩みました。主治医の先生に相談したところ、「がんやリンパ浮腫を経験した患者さんが、いつも前向きにキラキラしているわけではありません。立ち上がれない部分があって当然。だから、それも隠さないで……」と言ってくださり、気が楽になりました。 

 

 

チャレンジを自信に

編集部

久美さんは、強い自分にも弱い自分にも、しっかりと向き合っていらっしゃるように思います。

 

久美

実は自己洞察のために、術後の悶々としていた時期に、心理カウンセリングを1年間学びました。おかげで、「あのときのネガティブな自分は、こんな自分だったんだ!」と気づくことができました。自分の気持ちを整理するうちに、自分と向き合えたのかもしれません。 

また、カウンセリングでは、相手の思いに耳を傾ける「傾聴」の大切さも学びました。 

本当は、自分の辛い気持ちを吐き出したかったはずなのに、自分の中で消化していければ、これからは「辛い」と口に出さなくても済むようになるのかもしれない。その代わり、こうした知識やパワーを誰かのために役立てられたら―。

気づけば、自分はずっと一人だと思っていましたが、振り返ると、いつも誰かが支え、寄り添ってくれていたことに気づきました。だから今は、必要な方のために、何かを届けたいと思うようになりました。 

 

編集部

心理カウンセラーのほか、薬膳師の勉強もされ、資格を取得されたそうですね。

 

久美

自分の気持ちを整理するために始めたのが心理カウンセリング、自分の体調をよくするために始めたのが薬膳の勉強です。薬やサプリメントではなく、いつも食べているもので健康になれたら、無理なく続けられますよね。

そんな身近な食薬の知識を、長年の講師の仕事で培った伝え方や自身の病気の経験を活かして、多くの方にお届けしていければと思っています。そのためにも、「楽しく永く」続けられることが重要だと思っています。 

 

編集部

ほかにも、何か新しいことで挑戦されていることがありますか?

 

久美

コロナ禍で習い事も制限が増えてしまったのですが、最近では、マシンピラティスや着付け、茶道にも挑戦しています。要領は決していいとはいえないのですが、好奇心だけは旺盛なのです(笑)。 

こうした挑戦は、毎年のスケジュール帳にも記録するようにしています。過去を振り返って、後悔したり、マイナスに懐かしむためでなく、挑戦したこと、できたことなどを記憶するためのツールとして活用すれば、「できた!」の積み重ね、振り返りにも役立ちます。 

 

日々の挑戦を書き留めているスケジュール帳。こうした挑戦の積み重ねが自信へとつながる!

 

 

自分らしさを保つために

編集部

そうした習慣も大切ですね。最後に、リンパ浮腫の皆さんへのメッセージがありましたら、お願いします。

 

久美

昨今の情報社会では、インターネットでも本でもリンパ浮腫に対する情報が溢れています。正しい知識を持つことは大切ですが、情報を集めすぎるとかえって苦しくなってしまいます。

生活の注意事項には、あれもだめ、これもだめ、と書かれているものが多いような気がします。すべてを真剣に受け取って、自分を追い詰めないであげてください。もしかしたら、できる方法があるかもしれません。

「できない」ではなく、「とりあえずやってみる」ことが大切です。できたときの達成感は格別ですし、次の自信につながりますので、諦めず、主治医の先生と相談しながらチャレンジしていただきたいと思います。 

 

こうした仕事をしていると、よく、「がんやリンパ浮腫の話を聞かせて」と言われます。でも、がんにしても、リンパ浮腫にしても、症状や経過は人それぞれ、十人十色です。その情報だけに縛られて、固定観念を持たず、「とりあえずやってみる」「何とかなる」の気持ちでいれば、必ず自分の道を切り拓いていくことができる、私はそう信じています。 

 

編集部

久美さん、力強いメッセージをありがとうございました。

 

 

Editor‘s Comment

未だに癒えない心の傷や身体の不調を抱えながらも、目を背けるのではなく、自分の心と身体の痛みをより理解し改善するために心理学や薬膳(食薬)を勉強しながら、一歩ずつ前へ進んでいる姿がとても印象的でした。真面目に、自分自身と真摯に向き合っている姿に惹かれました。(編集部)

 

 

<文:Emily Nagaoka>


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