今回は、ファッションスタイリストの谷山伸子さんをゲストにお迎えしました。リンパ浮腫になったことは、「がんになったときよりもショックだった」という谷山さんですが、リンパ浮腫になったからこそ、それまで気づかなかった「本当のおしゃれ」や「ファッションの力」にも気づけたといいます。現在は、リンパ浮腫の人とそうでない人をつなぐ“架け橋”としての活動をされている谷山さんに、ありのままの自分を愛せるようになるまでの日々を語っていただきました。
enStylers:リンパ浮腫とともに、自分らしくstyleをもって生きるひとたち
オフィシャルサイト :
https://www.nobuko-taniyama.com/
#loveknow (ハッシュタグラブノウ) :
https://www.instagram.com/loveknow2016/
リンパdeスタイル(下肢編):
https://youtu.be/593t4r23jvo
リンパdeスタイル(上肢編):
https://youtu.be/dbWNdi_fmpE
念願のスタイリストに
encyclo Style 編集部(以下、編集部)
ファッションスタイリストというお仕事をされているそうですね。まず、どのようにしてスタイリストになったのか教えていただけますか?
谷山伸子(以下、谷山)
姉の影響で、中学時代からファッション雑誌をよく読んでいました。かっこいい洋服や大好きなスタイリストさんに憧れて、「私もスタイリストになりたい!」と思ったのですが、高校卒業後、就職したのは電設資材メーカー。
ファッションとはほど遠い事務員として青い制服を着て、電話番をしたり、余った紙でメモ用紙を作ったりする日々は、退屈なんてものじゃなくて(笑)。当時は、仕事が終わったら、おしゃれをして、ディスコに繰り出すのが何よりの楽しみでした。
でも、夢が諦めきれず、スタイリスト事務所に片っ端から電話をかけて、ようやくアシスタントとして採用してもらえたのが19歳の春でした。
編集部
念願のスタイリストの卵になれたのですね。独り立ちするまでに、どのくらいの時間がかかったのですか?
谷山
いわゆる“師匠”の専属アシスタントを7~8年つとめました。師匠は厳しい人で、いつか師匠を追い抜くことを目標に、必死に努力した結果、20代後半で独り立ちできました。
本当にいい時代で、仕事がいくらでもあって、身体が一つしかないことを残念に思うほど-。
ロケが多くて、家にいる時間はほとんどないけれど、あの頃の私は、「365日、24時間働いている自分は、かっこいい!」と思い込んでいました。栄養ドリンクを飲みながら、変な自信だけはありましたね(笑)。
20代後半、独り立ちした頃。お仕事のカタログ撮影終了を祝って、みんなで撮った思い出の一枚(後列右から5人目)。
編集部
そんなに忙しく生活されていて、仕事以外の楽しみはあったのですか?
谷山
稼いだお金は、全部洋服につぎ込んでいました。それも、「エッジのきいた」というか、個性的な服が多かったですね。毎日違う服を着て、一回しか着ないもの、タグが付いたままの服もたくさんありました。
2月、8月の仕事の暇な時期には、旅行にもよく行きました。「明日から休み。そうだ、旅行にいこう!」ということで、当日空港で思いつくままチケットを買ったりして。
「スタイリストは忙しい時に休んだら、次から仕事は来ない。だから、3倍のお金を払ってでも、暇なときに遊びなさい」という師匠の教えを守っていました。
編集部
まさに、「よく働き、よく遊ぶ」のお手本のようですね。
谷山
もうイケイケの絶好調でした(笑)。「私に仕事を依頼するなら、私のスケジュールに合わせてください」という感じでしたね。
食事は外食かコンビニ、甘いものに目がなく、タバコも吸っていました。主人と一緒に住んでいても、一緒に食事をすることもなく、月の半分はロケで家を空け、掃除もしない、食事も作らない、そんなかなり荒れた生活をしていました。
ハトと猫と私!?
編集部
健康とは、ほぼ無縁といってもよさそうですが……。
谷山
朝起きて、コンビニの甘いパンとコーヒー、タバコがお決まりのコースでした。でも、さすがに反省して、40代になると、夕ご飯くらいは作ろうかな、と。そんなとき、ハトがベランダに舞い込んできたんです。思えば、これがすべてのスタートでしたね。
編集部
えっ、ハトですか?
谷山
主人がベランダで羽に傷のある子どものハトを見つけたので、わが家でお世話することにしたんです。でも、「明日、小屋を買いに行こう」と話していた日の夜、ハトは死んでしまいました。すっかり私たちになついていたので、二人ともショックで。
悲しみのなか、主人は出張に出かけました。そして、出張先で、今度は仔猫を拾って帰ってきたんですよ。それも2匹も!
編集部
今度は仔猫!?その猫はどうしたんですか?
谷山
結局、飼うことにしました。新しい家族として猫を迎えるため、広い部屋にも引っ越し、「家賃も1.5倍になったし、頑張らなきゃ」と思っていた矢先、乳がんが見つかったんです。
編集部
まさか、ここでがんが見つかってしまったのですね。そのときのお気持ちはどんな感じでしたか?
谷山
ドーーーン!と突き落とされたような気持ちでした。仕事も猫も家賃も、どうしようかと思いました。
編集部
不安や戸惑いも大きかったと思いますが、頼れる人などはいらっしゃいましたか?
谷山
かかりつけ医から専門医を紹介され、確定診断が出るまでの1か月は本当に不安でした。
知人や友人が、本や健康食をはじめ、いろいろな情報をくれたのですが、どれも「かわいそう」といわれているように思えて、正直しんどかったですね。
そんなとき、一番の慰めになったのが、猫たちでした。いつもそばにいて、涙をなめてくれたり、ふだんと同じように寄り添ってくれて……。人間も同じで、いつも通りの言葉や態度で普通に接してもらうことが、一番嬉しかったのを覚えています。
つらいとき、いつも側にいてくれた最愛の猫たち。
「終わり」が「始まり」に
編集部
どのような治療を選択されたのですか?
谷山
先生が選択肢を示すより早く、「全摘(乳房を全て切除する手術)でお願いします!」といいました。それまでの私は、がんについての知識はほとんどありませんでしたから、手術をすれば、すぐに仕事に復帰できると思っていました。
「そんなにすぐに決めて大丈夫?」と先生は驚いていましたが、私は「早く仕事に復帰したい」の一心から、一刻でも早く手術をしてほしかったのです。
編集部
手術はうまくいきましたか?
谷山
手術をしたら、つらいことはすべて終わると思っていました。でも、手術を境に、とんでもないことが始まってしまいました。
編集部
その「とんでもないこと」が、リンパ浮腫だったのでしょうか?
谷山
そうです。がんも怖かったし、抗がん剤もつらかった。でも、リンパ浮腫になったときは、それ以上におそろしいと思いました。「私の人生、終わったかも」と、不安が頭をよぎりました。
リンパ浮腫になるかもしれないということは、手術前に説明は受けていました。そのとき、なんとなく、自分もなるような気がしたのですが、嫌な予感は的中しました。
編集部
リンパ浮腫の症状は、いつ頃から現れ始めたのですか?
谷山
手術後にドレーンが神経にあたって、痛みでリハビリができなかったんです。すると、みるみるうちに右腕が腫れてきました。抗がん剤の副作用の影響もあったのかもしれません。
私は、胸がなくても我慢はできます。でも、スタイリストにとって、右腕が使えないことは、仕事ができないことを意味します。いろいろな思いと痛みが重なって、夜中に泣いたことも何度もありました。
編集部
つらい症状もあったのですか?
谷山
よく、リンパ浮腫は「痛くない」といわれますが、痛くて、だるくて、重くて……。最初の頃は、蚊が止まっただけでも悲鳴をあげてしまうくらい、怖かったですね。発症後20年近く経ちますが、現在でも、毎日重くて、チクチクした痛みを感じます。
リンパ浮腫と付き合うコツ
編集部
発症から現在まで、リンパ浮腫との付き合い方は変わってきましたか?
谷山
長い年月とともに、今では「肩こり」と同じだと思えるようになりました(笑)。調子のいい日もあれば、悪い日もありますが、日々の変化に一喜一憂するのではなく、長い目で寄り添っていく感じです。大事に、大事に、これ以上悪くしないようにしながら、なんとか付き合っています。
編集部
谷山さんなりの「これ以上、悪くしないための秘訣」があれば、教えていただけますか?
谷山
スリーブをしなければいけないのですが、当時は保険もきかず、どれも合わない部分があって、本当に苦労しました。それでも、いろいろな種類を試し、合うものを探しました。
マッサージは少し面倒だったので、朝晩のシャワーの際に、シャワーの水圧を利用してマッサージするようにしました。するとこれが意外と気持ちよく、習慣になりました。自己流ですが、無理なく続けられるので、私には合っていると思っています。
編集部
忙しい生活の中でも、自然にケアを取り入れているのは素晴らしいですね。スタイリストの仕事には、いつ復帰されたのですか?
谷山
手術から3か月後には復帰しました。アシスタントに助けてもらいながら、何とか再スタートを切ることができました。
その後は、抗がん剤治療をしながら、体調の良いときに仕事をしていきました。仕事をすることで、心が元気になったり、治療のつらさを忘れさせてくれたり、良い面もたくさんありました。もちろん猫と家賃のためにも、必死でしたが。
家族と過ごすクリスマス。この時期、浮腫が一番酷く、右腕はパンパン!
リンパ浮腫のスタイリストとして
編集部
抗がん剤治療が終わり、何か変化はありましたか?
谷山
治療の影響もあって体重が増え、洋服が全部入らなくなっていました。新しい服を買うため、また出費が増えてしまいました。
編集部
洋服選びで変わったことはありますか?
谷山
「着られない服があって悔しい」と思うのではなく、スタイリストらしく、「自分の身体に合った自分なりのファッションを表現しよう」と思うようになりました。
買うのはメンズの洋服ばかりになりましたが、「男の子みたいでしょ?」「リンパ浮腫だから、メンズの服を着てる」と、自分からリンパ浮腫であることを積極的に打ち明けるようにしました。
編集部
少し視点を変えるだけで、またおしゃれが楽しめるようになるのですね。
谷山
今の状態を受け入れ、そのうえで好きなものを選ぶ。私は、ありのままの自分を受け入れると、これまでと違った自分に出会えることを、身をもって体験しました。新しい自分探しは、案外楽しいものです。
たしかに、着られなくなってしまった洋服はもったいないですが、「いつか着られるように頑張ろう!」と。これって、がんだから、リンパ浮腫だからではなく、ダイエットしている女の子の気持ちと何も変わらないと思うんです。
編集部
リンパ浮腫のことをどうやって周囲に打ち明ければよいか、悩んでいる方も多いと思います。そんな方たちに、何かアドバイスがあればお願いしたいのですが……。
谷山
私は、きちんと聞いてくれる方には、詳しく説明していますし、そうでない方には、「がんの副作用」と簡単に説明するようにしています。
病気を隠そうとすればするほど、いえないことが増えて、苦しくなってしまう。だから、私は、病気を隠さず、そんな自分を愛することをライフワークにしようと決めました。
編集部
素敵な発想ですね。やはり、スタイリストというお仕事も関係しているように思います。
谷山
ネガティブに隠すことは、ポジティブに変換しにくいんです。だから、自分からオープンにすることで、リンパ浮腫である自分を愛してあげることが大切だと思っています。
そうやってみても、似合うファッション、好きなファッションが見つからない、そんな方には私が提案すればいいじゃないって思うようになりました。
それまでは、モデルさんや芸能人をキレイにすることだけを考えていたので、一般の人のことなんて、見てもいなかったし、考えてもいなかった。でも、そんな私にスタイリストとしての新しい視点ができたのは、リンパ浮腫を経験したお陰。今はそう感謝できるようになりました。
がんやリンパ浮腫を隠さない
編集部
ポジティブで使命感にあふれていますね。谷山さんは、がんサバイバーのためのコミュニティを通して、前向きになれるコツを発信されているそうですね。どのような活動なのか、教えていただけますか?
谷山
がんになって初めて、「おしゃれ=着飾ること」ではないと気づきました。好きなことをして心を豊かにしたり、洒落っ気のある言葉を使ったりすることで、心がおしゃれになって、前向きになれるのです。
そんな自分の経験を通し、「がんやリンパ浮腫になっても、おしゃれをして、HAPPYに過ごそう!」という気持ちを発信することで、誰かの背中を押せるかもしれないと思いました。
そこで2016年、嬉しい時間やつらい気持ちをシェアできる仲間を作ることを目的に、「#loveknow (ハッシュタグラブノウ)」という乳がん・子宮がんサバイバーのコミュニティを立ち上げました。さらに、2020年からはリンパ浮腫を隠さずに生きるヒントを、「スタイリスト谷山伸子」から提案する場として、「リンパdeスタイル」というYouTubeチャンネルをana治療院の穴田先生と一緒に始めました。
編集部
「がんを隠さない」。これはなかなか難しいことだと思いますが、そのような活動をしようと思ったきっかけはありましたか?
谷山
私は以前、がんのアピアランスケアのボランティアをしていたことがあります。がんの患者さんに、ウィッグのかぶり方やメイクのコツをご紹介するのですが、次第に「がんは隠さなければいけない」という考え方に違和感を覚えるようになりました。
そんなとき、Instagramでつながった乳がん経験者の仲間たちが、がんを隠さず、おしゃれを楽しんでいる姿をアップしているのを見て、衝撃を受けました。
その仲間たちに会いに行き、私がメイクをしてあげると、彼女たちはその様子をYouTubeで公開してもいいといってくれました。胸はなくても、髪はなくても、ありのままの自分を隠さない彼女たちの生き方に共感し、がん当事者の私も、自身の経験を発信していこうと思いました。
私の目的は、単に患者同士がコミュニティで結びつくことではありません。「がんを隠さない社会」「がん患者でも生きやすい社会」が当たり前になっていく、そのために、こうした活動が役に立てば、と思っています。
#loveknowのイベント。サバイバーにメイクをするメイクショーの風景。
編集部
「がんを隠さない社会」とは、どんな世界だと思いますか?
谷山
私自身、がん患者、リンパ浮腫患者になったとき、社会的マイノリティとして特別視されることがとてもつらいと感じました。風邪を引いた人に対して、いちいち大袈裟に心配したりしないですよね?なのに、がんの人を見ると、「かわいそう」と同情したり、腫れ物に触るように扱ったり。
私は、病気を経験した人もそうでない人も、もっと普通に、ざっくばらんに話し合える社会になってほしいと思っています。でも、それは簡単なことでないので、サバイバーの私たちが、両者をつなぐ架け橋になれたら―。
編集部
たしかに、がんやリンパ浮腫の人と、そうでない人が交流できる機会は多くないですね。
谷山
現在も年に数回集まって、メイクやファッションの話で盛り上がっています。今後は、例えば「リンパ浮腫」というキーワードで、患者さんとそうでない人が集まり、ファッションを自慢し合うイベントなどができたらいいですね。
これって、「やせたね!」「どんなことしたの?」と盛り上がっている女子会と同じなのですが、リンパ浮腫の人にとっては新しい自分を見つけるチャンスですし、そうでない人にとってもリンパ浮腫を身近に感じられる貴重な機会だと思うので、これからも続けていきたいですね。
#loveknowの活動のひとつ、9フレームピック。サバイバーにメイクをした様子を9枚の画像にまとめてInstagramに投稿。
編集部
がんを隠さない社会をつくるには、お互いが歩み寄り、認め合うことが重要なのですね。
最後に、がんやリンパ浮腫の当事者として、スタイリストとして、これを読んでいらっしゃる皆さんにメッセージをいただけますでしょうか。
谷山
病気になる前の私は「ファッションの犠牲者」でした。着飾っていても、心の中は空っぽ、虚栄心や見栄だけで生きていたのだと思います。
がんになって、リンパ浮腫になって、ありのままの自分を受け入れたとき、今の自分を愛すること、ありのままを素敵に表現するにはどうしたらよいかと考えるようになりました。そのとき初めて、本当のおしゃれ、ファッションの力に気づけたような気がします。
そのままのあなたが素敵だし、きっともっと素敵になれるはず。だから、「I love myself」。もっともっとありのままの自分を愛してあげてくださいね。
編集部
「I love myself」は、皆さんにとっても、希望の合言葉になると思っています。谷山さん、元気が出るような素敵なお話をありがとうございました。
スタイリストという職業からクールで近寄りがたいイメージを抱いていたのですが、実際にお会いしてみると、一緒にいるだけで周囲を明るくしてくれる人間味に溢れた温かみのある方でした。病気を隠さないでいること、自然体であること、ありのままの自分でいることの大切さを改めて教えてもらった気がします。過去の反省を込めて、エシカルファッションスタイリストとして活動されていたり、自らの経験をバネに、がんサバイバーの就労支援にも意欲を示すなど、今後も活躍の場がどんどん広がっていきそうです。これからの活躍に注目していきたいと思いました。(編集部)
<文:Emily Nagaoka>