今回は、キャンサーフィットネス*1認定のリンパ浮腫ピアサポーター*2として活動を始めたばかりの、Tokoさんをお招きしました。
卵巣がんの手術をきっかけに、4年前にリンパ浮腫を発症したTokoさん。医療者から、「リンパ浮腫は一生治らない」と告げられ、「一生」という言葉の重みに絶望します。また、医療者とのコミュニケーションの難しさ、そして弾性ストッキングの不便さに、心が押しつぶされるような日々を過ごしました。
そんなTokoさんは今、リンパ浮腫のピアサポーターとして、同じ悩みを持つ人のために新たな挑戦を始めました。Tokoさんに、再び前を向くきっかけを与えたのは何だったのでしょうか。Tokoさんに、等身大の気持ちを伺いました。
*1:運動を通してがん経験者を支援している団体。運動だけでなく、同病の人との出会いの場となったり、リンパ浮腫のケア方法やエクササイズ講習会もおこなっている。
キャンサーフィットネス ホームページ:http://cancerfitness.jp/
*2:同じ立場や経験をもつ仲間をサポートする人のこと
卵巣が破裂!家族が支えてくれた闘病生活
encyclo Style 編集部(以下、編集部)
Tokoさんは、現在どのような活動をされているのでしょうか?
Toko(以下、Toko)
キャンサーフィットネス認定のリンパ浮腫ピアサポーターとして活動を始めたばかりです。ゆくゆくは、地域でリンパ浮腫に悩む人のサポートができればと考えています。
編集部
もともと、人のために働くのがお好きだったんですか?
Toko
専業主婦として20数年、子育てに専念していました。「人のため」というより、「家族のため」に過ごしていましたね。子どもたちが大きくなってからは保育士資格を活かして、子どもたちと関わる仕事をしていました。
編集部
その時期に、卵巣がんが発覚したのですか?
Toko
そうです。お腹が少し膨らんできたので、「中年太りかな」と思っていたんです。でも、あるとき自転車で段差を越えた瞬間、恥骨の辺りに刺すような強い痛みを感じて。普段なら様子を見るタイプですが、「この痛みはおかしい」と胸騒ぎがして、すぐに近所の婦人科を受診しました。
エコーでお腹を見ると、本来親指大の卵巣が20㎝ほどに膨らんでいて。医師からは、「良性か悪性かは分からないが、手術が必要だと思う」と言われ、近くの大きな病院を紹介されました。
編集部
親指大が20㎝に…。紹介先の病院で、すぐに手術を受けたのですか?
Toko
いえ、術前検査のMRIが1ヶ月待ちだったんです。でも、親指大の臓器が20㎝になっている状態で1ヶ月も待つなんて、素人ながらも「破裂しないのかな」とすごく不安で。近所の婦人科にもう一度相談したところ、「絶対破裂しないよ」と言われたのですが、不安が拭えず、夫と相談して隣県の病院へ行きました。
すぐMRIを撮ってもらったら不安が的中していて、卵巣が破裂していました。いつ破裂したか分からないのですが、担当医師も、「この状態を見逃すなんて」と憤慨していましたね。
編集部
卵巣が破裂…!破裂寸前の卵巣を見逃した、近所の婦人科の医師には話したんですか?
Toko
MRIの結果、急遽手術を受けることになったので、最初に受診した婦人科に紹介状をもらいに行ったんです。そのとき「卵巣が破裂していました」と、医師に話しました。すると急に医師の顔色が変わって、なぜか「今日は紹介状を書く時間がない」と言われてしまったんです。でも、こちらも毅然とした態度で「明日から入院するので」と話し、何とか紹介状を受け取りました。
そのあと手術を受けましたが、術中検査で悪性だと分かりました。もし、卵巣が破裂していなかったらステージⅠかⅡだったそうですが、悪性腫瘍がお腹の中で破裂したため、ステージⅢbになってしまったんです。
編集部
それは「酷い」では済まされないですね…。治療はどのようなものだったのですか?
Toko
卵巣を取り、抗がん剤治療を何度かしてから、子宮やリンパ節も取りました。抗がん剤治療が想像よりも辛く、気持ちも沈みましたね。病気のことを調べるたびに、「生存率○%」、「再発率が高い」なんて目にしてしまい、「死ぬかも知れない」と落ち込みました。
化学療法を始める直前に夫と。
外泊許可をもらって桜を見にきたけれど、不安でいっぱいでした。
編集部
辛い治療期間に、支えになったのは何でしたか?
Toko
支えになったのは、家族の存在でした。当時、主人は関西に単身赴任中だったのですが、毎週末、関東に帰ってきてくれて、日曜の最終の新幹線の時間まで一緒にいてくれました。言葉だけでなく態度でも励まし、支えてくれました。娘たちの心のケアもしてくれて、ありがたかったですね。
モネの「睡蓮」のような風景。
家族のお気に入りの場所です。
娘たちが、いつも通り学校や部活に行き、普通に接してくれたのも心強かったです。でも、何も言わなくても家事をしてくれて、病室では冗談を言って笑わせてくれました。闘病期間に、家族の絆がより深まったと感じます。友人にも、たくさん励まして支えてもらいました。当時抱いた感謝の気持ちは、一生忘れることはないと思います。
何でもない日に娘からサプライズ。
「こちらこそほんとうにありがとう」。
遠方に住む大親友がいつもお参りに行ってくれていました。
「これで大安心だよ」というメッセージも。
「一生治らない」の言葉の重さに絶望する日々
編集部
リンパ浮腫については、術後2年で発症したと伺いました。
Toko
手術から2年ほど経ったとき、私がずっと行きたかったスペイン旅行に娘が誘ってくれたんです。主治医からは、「リンパ浮腫のことはそんなに心配しなくても大丈夫」と言われていたので、特に相談も心配もせず、飛行機に乗りました。
でも、スペインに着いて、ベッドに寝転がって壁に脚を立て掛けたら、右脚だけ少し大きくなっている気がして。左右差は他人からは分からない程度でしたが、脚がすごく重だるかったですね。思い返せば、退院後に再開したスイミングで、右ももだけ水着がきつかったので、旅行前には既にリンパ浮腫を発症していたんだと思います。
娘とのスペイン旅行にて。
この時は、リンパ浮腫についてあまり知りませんでした。
編集部
帰国後、リンパ浮腫の治療を始めたのですか?
Toko
帰国してすぐ、主治医にリンパ浮腫の専門医を紹介してもらいました。でも、受診日を待つ間も不安で、別のリンパ浮腫のクリニックに診てもらったら「まだ発症しているわけではありません。あなたは人より敏感なだけ」と言われました。
それでも、「悪化したくないから、ストッキングを履きたい」と相談したら、「サイズはSとMのどちらでも良い」と言われて。試着したら、どのサイズも履くのが大変なほどキツくて、何とか履けるMサイズのストッキングを選びました。
後日受診したリンパ浮腫専門医には、「初期だが、既に発症している」と診断されました。さらには「Mサイズは大きすぎる。もっと圧迫した方がいい」と、3Sサイズのストッキングを薦められたんです。
編集部
医療者によって、言うことが全然違うんですね。
Toko
そうなんです。医療者によって言うことが違うし、誰を信じたら良いのか分からなくなりました。さらに、「リンパ浮腫は一生治らない」、「一生ストッキングを履き続けてください」と言われたとき、「一生」という言葉が怖くて、先生の前で泣いてしまったんです。がんと分かったときには泣かなかったのに。
編集部
がんよりも、リンパ浮腫を発症した方がショックだったということですか?
Toko
がんは命に関わりますが、治る人もいます。でも、リンパ浮腫は、今の医療では一生治らないと言われています。とにかく「一生」という言葉が、すごく長く、重く感じて怖かった。まわりの人に「もっと大変な人もいる」、「命に関わらないでしょ」と言われても、私自身のリンパ浮腫への恐怖心は変わりませんでした。
ストッキングの見た目も、履きづらさも嫌でした。「段ボールのように分厚いストッキングを履く生活が、一生続く」という恐怖心が拭えず、受け入れられなかったんです。でも、それを言うと、「いつまでも若くてきれいな脚でいたいんですね」とか、「あなたの脚なんて誰も見ていない」と言われてしまって、思ってもいない言葉に唖然としました。
私は、他人に見せたくて、見た目を気にしているわけじゃありません。一生、朝から晩まで毎日履かなければならないものにこだわるのは当然です。病人は病人らしく、医療機器としてのストッキングを履いて、おしゃれを諦めなければならないのでしょうか?
自分が心地良いと思えるおしゃれをしたいだけなのに、お気に入りのサンダルやワンピースも「分厚いストッキングじゃ履けないな…」と思いました。今までの生活や、おしゃれの楽しみが無くなってしまうような気がしましたね。
編集部
おしゃれの楽しみを否定され、我慢し続けるのは辛いですよね。
Toko
しかも、いろんなことを我慢して履き続けても、症状が良くなる保証はありません。頑張っても、悪化する可能性すらあります。常にリンパ浮腫のことを考えてしまって、本当に毎日辛かったです。
同じ悩みを持つ仲間との出会い
編集部
辛い日々が続くなかで、前を向くきっかけになったのは何だったのでしょうか?
Toko
毎日が辛くて、「どうしたら良いんだろう」、「誰かに話を聞いてもらえるかな」と思いながら、ふらふらとマギーズ東京*3に行ったんです。そこで、「この方も、弾性ストッキングを履いているんですよ」と、マギーズ東京が発行する情報誌を渡されました。過去にこのenstylersにも登場した水田さんが表紙に写っているのを見て、「こんなに若くてきれいな人も、弾性ストッキングを履いて、頑張っているんだ」、「私も少し頑張れるかも」と、気持ちが楽になったことを覚えています。
*3:がんになった人と、その家族や友人などが、がんに詳しい看護師・心理士などに安心して話せる場。さまざまなグループプログラムも開催している。
マギーズ東京 ホームページ:https://maggiestokyo.org/
編集部
同じリンパ浮腫で悩む人が頑張っている姿を見て、励みになったのですね。
Toko
あとは、キャンサーフィットネスとの出会いも大きなきっかけでした。入院中、同じ病室の友達と「元気になったら運動したいね」と話しているなかで、キャンサーフィットネスの存在を知ったんです。
リンパ浮腫を発症したときに、キャンサーフィットネスのことを思い出して、改めて調べてみると、運動するだけでなくリンパ浮腫についても学べると分かって。早速、講座を受けてみました。
編集部
講座はいかがでしたか?
Toko
リンパ浮腫に関する悩みやアドバイスを参加者と共有することで、少しずつ前を向けるようになりました。キャンサーフィットネスで出会う仲間達は、みんなおしゃれも仕事も前向きに楽しんでいるんです。
「私もそんなふうになりたい」と刺激を受けて、キャンサーフィットネス認定インストラクターの資格を取得しました。今もまだまだ勉強中です。
自分が誰かにして欲しかったことをしたい
編集部
ピアサポーターを目指した原動力は、何だったのでしょうか?
Toko
私自身がリンパ浮腫で辛かったときに誰かにして欲しかったことを、今苦しんでいる人や、「発症するかもしれない」と不安を感じている人にしてあげたいんです。「こうしたら大丈夫だよ」とか「焦らなくても大丈夫」って、同じ経験者から聞きたかったなと思って。
編集部
リンパ浮腫の症状やケアとは、今はどのように向き合っていますか?
Toko
1ヶ月前にはじめてLVA(リンパ管静脈吻合術:リンパ浮腫軽減を目的に行う外科手術のひとつ)を受けたんですが、症状はまだあまり変わっていない気がしています。ただ、維持はできていますね。
ストッキングも最初は嫌でたまりませんでしたが、今では何とか習慣になりました。段ボールのように分厚いストッキングですが、私たちリンパ浮腫患者にとっては、なくてはならないものです。ストッキングを履いているからこそ、脚を良い状態で保てているんですから。製造してくださっている人にも、感謝の気持ちを持てるようになりました。あと、体重管理や運動も、たまにサボりながらですが、続けられています。
リンパ浮腫って、医療者も「これをすれば良くなる」と、明確にアドバイスできないんです。それが最初は辛かったんですが、だんだん怒りに変わってきて。「はっきり分からないなら、自分で何とかする!」って、思うようになりました。
編集部
落ち込むだけ落ち込んだら、怒りに変わったんですね。
Toko
そうです、そうです。開き直った感じですね。リンパ浮腫を発症した当初は、「この先、骨折したらどうなるの?」とか、「手の筋力が落ちて、ストッキングが履けなくなったらどうしよう」とか、不安なことばかり考えていました。今も、不安が解消されたわけではないです。でも、「今できることは全部しているから、先のことはあまり深く考えないようにしよう」と思っています。
編集部
「今できることをする」のは、とても難しいことだと思います。
Toko
入院中、友達がたくさんできましたが、みんな亡くなってしまったんです。私の娘くらいの年齢の子もいました。亡くなった友達は、みんな「元気になったら運動したい」と話していたんです。
今私は、みんながやりたくてもやれなかったことができる程、元気になりました。だからこそ、「友達の分も、頑張らないといけないな」と強く思うんです。
お誕生日のお祝い。
今では歳を取ることが喜びに。
いつか必ず前を向ける日が来る
Toko
実は、今回インタビューをお引き受けしたものの、ずっと悩んでいたんです。私は目立った活動をしているわけじゃないし、「普通の人の話が、誰かの役に立つのかな」って。
編集部
ごく普通の、隣にいそうな方が、葛藤を乗り越えて挑戦を始める姿はきっと誰かの心を打つと思います。
Toko
だったら、勇気を出して良かったです。辛いことに直面したとき、すぐに前を向ける人もいますが、私はなかなか前を向けなかった。そんなとき、「1ヶ月泣いたんだから、もういいじゃない」、「ずっと落ち込んでいたら、娘さんも悲しむよ」と言われましたが、それでも気持ちを切り替えられませんでした。
でも、今悩んでいる人には「これほど落ち込んだ私でも、前を向けたんだから大丈夫」と、伝えたいです。前を向くまでの期間は、人によって違って当たり前。でもいつか、必ず前を向ける日が来ます。
編集部
ピアサポーターとしての活動を始められたばかりですが、今後の目標や夢はありますか?
Toko
最近は、がんに罹患する同世代の友人が増えてきました。相談されると、「リンパ浮腫に気を付けてね」と、私が「発症前に出会いたかった」と思える本を贈っています。将来的にはもっと知識をつけて、地域でピアサポーターの活動ができたらいいなと思っています。
経験上、正しい知識がなければ、怖がる必要のないことまで怖がってしまいます。正しい知識を持つことの大切さを身をもって知っているので、これからの活動を通じて、多くの人に正しくリンパ浮腫のことを知って欲しいですね。
Tokoさんのお話を伺って、医療者とのコミュニケーションの難しさは、多くのリンパ浮腫で悩む人が抱える課題なのではないかと思いました。医療者の技術や知識なくして病気は治りませんが、心に負った痛みを癒やすのは、同じ経験をした仲間の力が大きいのだと感じます。
Tokoさんの「辛かったときに誰かにして欲しかったことを、今苦しんでいる人や不安を感じている人にしてあげたい」という言葉は、辛い経験をした多くの人の原点にもなり得る言葉だと思いました。(ライター・笠井)
<文:笠井ゆかり>