「完璧じゃなくても、ダメじゃない」 益田 彩乃


              「完璧じゃなくても、ダメじゃない」 益田 彩乃

今回は、原発性リンパ浮腫を抱えながら、仕事と育児に奮闘されている益田彩乃さんをお招きしました。
大学卒業を控えた冬、「突然、片方のブーツが入らなくなった」という益田さん。日ごとにむくみが酷くなるのに原因が分からず、不安に苛まれます。ようやく「原発性リンパ浮腫」と判明したのは、発症から半年後のことでした。もともと努力家で完璧主義者だった益田さんは、「努力すれば治るのでは」と思い詰めますが、リンパ浮腫と向き合ううち、生き方に変化が現れます。
「完璧ではない自分」を受け入れ、しなやかに生きる益田さんに、原発性ならではの不安や、仕事と育児、そしてリンパ浮腫の両立についてお話を伺いました。

enStylers:リンパ浮腫とともに、自分らしくstyleをもって生きるひとたち

 

努力と結果がすべてだった学生のころ

encyclo Style 編集部(以下、編集部)

学生時代は、努力家で完璧主義者だったそうですね。 

 

益田彩乃さん(以下、益田)

はい、昔は「常に努力して、結果を出さなければ」と思っていました。でも、周りと比べては、努力のゴールが遠くに感じて辛かったんです。ついに高校受験のタイミングで、学校に行けなくなりました。 

そんなとき、ピアノの先生をしていた母から音楽科のある高校を薦められ、「ここなら頑張れるかも」と、進学を決めました。 

 

編集部

益田さんは、歌やピアノの先生をされていますが、もともと音楽が好きだったのですか? 

 

益田

母の影響で、音楽は物心ついた頃から身近な存在だったんです。積極的に練習するタイプではありませんでしたが、自分で決めた高校だったので、一生懸命、音楽に取り組みました。 

進路を考える時期になると、「音大行かなきゃ、今までの努力がもったいない」という周りの声が聞こえてきて。私自身、音大に行くほどの情熱はなかったんですが、「もっと音楽を知れば、やりたくなるかも」と思い、音大に進学しました。 

 

音楽は昔から身近な存在。
自宅がピアノ教室だったが、もっと歌に触れてみたいと思って音楽の道に。

 

 

編集部

音大では、音楽への情熱を持てましたか? 

 

益田

一生懸命、取り組みましたが、プロを目指す周りの友達ほど没頭できなかったです。周りとの温度差に悩んでいましたね。そうしているうちに大学4年になり、将来について考え始めたタイミングでリンパ浮腫を発症しました。 

 

 

ブーツが入らない!突然のリンパ浮腫発症

編集部

発症に気付いたきっかけは何だったのでしょうか? 

 

益田

冬の朝、ロングブーツを履こうとしたら、片方だけチャックが上がらなくて。「片足だけ太ったのかな?」と、思いました。一週間後には、見た目や重怠さに左右差が出てきましたが、痛くないし、体調変化もなかったので病院へ行くことは考えませんでした。

 

編集部

そんななか、病院へ行こうと考えたのはなぜだったのでしょうか。 

 

益田

むくみ始める少し前に、青森ー東京間の長距離バスに乗ったことを思い出して、「エコノミー症候群かも」と、血管外科を受診したんです。レントゲンやCT、MRIなど色んな検査をしましたが、原因が分からず困りました。 

そんなとき、偶然、本屋さんでリンパ浮腫に関する本を見つけて、「私、この病気かも知れない」と、担当医師に提案したんです。その後、大きな病院で、リンパシンチグラフィ(リンパ管造影)の検査を受けて、ようやく「原発性リンパ浮腫」だと分かりました。その頃には、季節が初夏になっていましたね。 

 

 

悪化する症状に不安が募る日々

編集部

リンパ浮腫と分かってからは、スムーズに治療できたのでしょうか。 

 

益田

当時、私の地元(青森県)ではドレナージができず、医療用ストッキングも購入できなかったんです。担当医師から薦められたマッサージやストッキングを、生活に取り入れていました。でも、翌年には正常だった脚までむくみ始め、「一体、どこまで症状が広がるの?」と、先が見えない不安に駆られました。 

 

編集部

当時、不安な気持ちを話せる人はいましたか? 

 

益田

リンパ浮腫をよく知らない人に、「落ち込まないで」と言われるのも辛くて、不安な気持ちを誰かに話すこともできませんでした。近くに専門医も、同じ症状の人もいなかったので、「この先どうなるんだろう」とか、「もしかしたら違う病気かも」とか、ひとりでモヤモヤと考えるしかなかったです。 

 

 

包帯族の仲間たちとの出会い

編集部 

その後、リンパ浮腫専門病院に教育入院されたとのことですが、どのような経緯で入院されたのでしょうか。 

 

益田

リンパ浮腫の患者会やネットで情報収集しているうちに、「リンパ浮腫専門医に診てもらいたい」と考えるようになり、四国にあるリンパ浮腫専門病院に教育入院しました。 

正しいケア方法を知るための入院でしたが、「専門医が診れば、別の完治する病気かも」という一縷の望みを賭けた入院でもあったんです。結局、その病院でもリンパ浮腫と診断されましたが、そこでリンパ浮腫と向き合う覚悟が決まったように思います。 

 

編集部

どのような入院生活でしたか? 

 

益田

弾性包帯でのケア方法を教えてもらい、自分に合うストッキングを処方してもらいました。あと、リンパ浮腫仲間との出会いも、私にとって大切な経験になりましたね。 

専門病院なので、出会う患者さんはみんなリンパ浮腫なんです。入院中、寮生活みたいにみんなで包帯を洗って巻いているうち、「何だか『包帯族』みたいだな」と思えてきて。

 

教育入院でケアの仕方などを教わって。
包帯を巻いていることがあたりまえという環境で、気持ちにも変化が。

 

 

編集部

包帯族! 

 

益田

そう、民族!(笑)
普段、弾性包帯を巻いている人って周りにいないけど、こんなに集まったら「包帯を巻く習慣の民族みたい」って思えたんです。今までの人生も、リンパ浮腫を発症する経緯も違うのに、不思議と一体感があって、何よりみんな前向きでしたね。 

実は、発症してから「努力で治るんじゃないか」と、食事や健康食品に気を付け過ぎて、心のバランスを崩したんです。でも、仲間と出会えて、「リンパ浮腫に人生を振り回されるのは、もったいない」と思えるようになりました。 

 

 

完璧じゃなくても、いまできることを

編集部

大学卒業後、お仕事はどうされていたのでしょうか? 

 

益田

自宅や所属音楽店での音楽レッスンや、出張コンサートをしていました。でも、ストレスや疲労で蜂窩織炎を繰り返してしまって。 

リンパ浮腫に対する職場の理解って、実際に働いてみないと分からないですよね。例えば、出張があると移動や荷物が大変だし、突然休むとなると申し訳ない気持ちが湧きます。 

外科手術を受けることも考えましたが、手術してでも今の職場で仕事がしたいのか、自問自答して、手術は受けず自宅レッスンと出張コンサートだけを続けることにしました。 

 

出張コンサートで。
音楽活動をするときにも、リンパ浮腫のことは隠さず発信しています。

 

 

編集部

学生時代の益田さんなら、手術してでも会社に所属していたかもしれないですね。 

 

益田

確かに昔の私だったら、無理して限界まで仕事をしたと思います。でも今は、体からの「休んで」というサインを素直に受け取れるようになったし、無理して頑張ることは、ほぼなくなりました。 

 

編集部

それはなぜでしょうか? 

 

益田

蜂窩織炎になると強制的に動けなくなるという理由もありますが、「リンパ浮腫は完治しない」という現実が、私の完璧主義を強制的に絶ったことが大きいです。 

リンパ浮腫は、私の弱点でもあるんです。蜂窩織炎になったら仕事を休まないといけないし、子どもの抱っこだっていつもできるわけじゃない。そんな弱点が、努力に関わらず今の医療では完治しない以上、どう共存するかを考えなきゃいけない。 

そんななかで、「完璧じゃなくても、今自分ができることをやろう」と思えるようになりました。それは、「無理してできること」ではなく、「心と体のバランスを取れる範囲でできること」をするという意味ですね。 

 

ケアの様子。
「できることを、できる範囲で」。

 

 

未知の世界だった妊娠・出産

編集部

益田さんはご結婚もされて、お子さまもいらっしゃるんですよね。 

 

益田

私自身、リンパ浮腫と仕事の両立で手がいっぱいだったし、結婚相手はリンパ浮腫に理解のある人じゃないと無理だと思っていたので、結婚に前向きではなかったんです。そんななか、夫はリンパ浮腫に興味を持ってくれて、色々なタイミングが合って結婚に至りました。 

 

3歳になる娘と。

 

 

編集部

妊娠中の体調変化や浮腫については、どのように乗り越えられたのでしょうか? 

 

益田

浮腫のケアは、弾性ストッキングのお腹の部分を丸く切って使っていましたね。ただ、妊婦健診のたびに、弾性ストッキングを脱ぎ着するのが大変で。健診後は、トイレにバスタオルを敷いて履いていました。 

あと、塩分のあるものを食べるとすぐにむくんで、体重が増えるのも困りました。健診前日は薄味の食事を心がけましたが、それでもむくんで体重増加を注意されたこともあります。リンパ浮腫が関係している可能性も説明しましたが、理解は得られなかったように思います。

 

編集部  

やはり、妊娠中もリンパ浮腫だからこその大変さがあったのですね。 

 

益田

私の場合、妊娠後期に入って、外陰部に無数にできたリンパ小胞からリンパ液が漏れるようになってしまったことも困りました。産後も調子が悪いときはリンパ漏になるので、「悪化しなければいいな」と思いながら今も過ごしています。 

 

編集部

出産も大変だったのでしょうか? 

 

益田

妊娠生活は、蜂窩織炎で入院もして大変でしたが、出産自体はとてもスムーズだったんです。 

ただ、やはりリンパ浮腫を抱えた妊娠・出産は未知の世界で、最悪の事態を想定していました。育児が大変で包帯が巻けずに蜂窩織炎になって、家事も育児もできなくなってしまうんじゃないかって。 

そこから比べると、実生活は意外と何とかなっています。ただ、うまくいっているのはある意味、運任せの部分も大きいかもしれません。 

 

包帯の抜け殻。
教育入院で覚えた方法を実践しています。

 

 

編集部

3歳になる娘さんとの関わり方や、育児とリンパ浮腫の両立はどのようにされていますか?

 

益田

娘はどう思っているか分からないですが、「いま脚が痛いから、抱っこできないんだよ」とか「包帯は大事だから、巻き終わるまで待ってね」とか、なるべく今の状態を説明をするようにしています。娘は不思議そうにしていますが、幼いなりにちゃんと聞いてくれていますね。娘がこだわりの強い性格ではなかったことも、幸いしていると思います。 

ただ、素足のときの抱っこなど、他のお母さんならすぐ対応できることができない場合もあって、そんなときは「我慢させている」と申し訳なく思います。 

 

編集部

子どもに我慢させている状況って、親も辛いですよね。 

 

益田

そうですね。ただ、毎日私が包帯を巻いているので、娘は「母親=包帯を巻くもの」と思っている節もあるんです。なので、「お友達を叩いてはいけない」というルールと同じような感覚で、「ママが素足の時は、抱っこできない」というのが、自然と当たり前になっていくのかなと。 

ケアばかりもできないけど、ケアせず私が動けなくなるのも、娘のためにはなりません。私も娘も、日によってコンディションが違うので、優先度を日ごとに変えて対応しています。家族へのリンパ浮腫の伝え方や、対応は日々探り探りですが、わが家の形が徐々にできていると感じています。 

 

包帯に興味津々。

 

 

心と体のバランスを取りながら、悩みや弱さとつき合う

編集部

最後に、リンパ浮腫で同じ悩みを抱える人に伝えたいことはありますか?  

 

益田

置かれた境遇やタイミングによって、リンパ浮腫が人生を左右することもあるので、気軽に「前向きになろう」なんて言えません。私自身、「もし、リンパ浮腫じゃなかったら」と思うこともあります。 

でも、自分の能力や体力の範囲で、何かやりたいことや、できることを見つけるのが大事なのかなと。それは些細なことでもよくて、例えばファッションでも「これ良いかな?」と思ったら、実験と思って試してみるのが大切だと思います。試してみて「意外といける!」と思えたらラッキーだし、「やっぱりダメだった」と思っても、実験だと思えば気楽です。 

「ケア」、「治療」と考えると何となく重く捉えてしまうけど、気を楽にして、できることを工夫してやれば良いと思います。 

 

両下肢の浮腫なので、特に隠さず普通の服を着ています。
ストッキングが透けるので、夏でも100デニールのタイツを履くことが多いです。

 

 

編集部

完璧主義だったころの益田さんが聞いたら、驚くかもしれませんね。 

 

益田

本当ですね。昔は完璧主義のせいで生きづらさを抱えていました。完璧にできないときは、できない理由がないと納得できず、自分を責めながら無理して頑張っていました。でも今は、完璧じゃなくても、リンパ浮腫を理由に自分を納得させることができます。 

症状が悪化するたび、「ちゃんとケアしないからだ」と責められているように感じたこともあります。でも今は、自分の心と体のバランスが取れていれば、多少腫れていても良いと思えるんです。 

弱さや悩みは誰にでもあります。でも、完璧じゃないからってダメなわけじゃない。やりたいことやできることをしながら、心と体のちょうど良いバランスを見つけて、弱さや悩みとゆるく付き合っていけたらと思います。 

 

 

 

Editor‘s Comment

私自身、出産育児で緩和されたものの、まさに努力が一番大切な完璧主義者。なので、益田さんのお話には共感する点が多々あり、自分を見つめ直すきっかけになりました。
「完璧じゃなくても、自分の弱さを受け入れてできることをする」という益田さんの生き方は、「完璧にいよう」と頑張る生き方よりも、強くしなやかだと感じました。 (ライター・笠井)

 

 

<文:笠井ゆかり>


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