今回は、中学生のときに原発性リンパ浮腫を発症されたMamikoさんをゲストにお迎えしました。「どうして私はみんなと違うんだろう」「なぜリンパ浮腫になってしまったんだろう」と悩み続け、“コンプレックスのかたまり”だったという少女時代。しかし、大学生、社会人と大人になっていくなかで、リンパ浮腫との付き合い方もうまくなり、あることをきっかけに「自己肯定ができるようになった」といいます。
リンパ浮腫と真摯に向き合い、持ち前の明るさと努力で未来を切り拓いてきたMamikoさんに、原発性ならではの苦労、多感な少女時代の思い出、人生の転機となった出来事などについて語っていただきました。
突然の体の変化
encyclo Style 編集部(以下、編集部)
本コーナーで初めて、原発性リンパ浮腫の方をお迎えしました。いろいろなお話を伺いたいのですが、まず、Mamikoさんがリンパ浮腫を発症したときのことから教えていただけますか。
Mamiko
発症したのは中学1年生、13歳の冬でした。ある日突然、左脚の太ももに張りを覚え、最初は「なんだか腫れているな」くらいだったのですが、2~3日しても腫れが引かず、不安になっていきました。
編集部
何か思い当たる原因はあったのですか。
Mamiko
まったくありません。虫刺されのような跡がありましたが、因果関係はわかりません。
編集部
腫れはどうなりましたか。すぐに病院に行かれたのでしょうか。
Mamiko
看護師だった母のアドバイスもあり、腫れた太ももを包帯で圧迫したところ、浮腫みが膝下に移動しました。母の同僚の看護師さんから、リンパ浮腫の可能性を指摘され、片脚用の弾性ストッキングを貸していただき、しばらく着用して様子を見ることにしました。その結果、ストッキングを履かないと浮腫んでしまうことがわかり、専門病院で診てもらうことになりました。中学2年生になったばかりでしたから、発症から4か月後くらいのことです。
編集部
原発性リンパ浮腫は、気づかないまま放置してしまい、診断がつくまでに何年もかかるケースも多いようです。Mamikoさんはお母様が看護師ということもあり、初期段階でリンパ浮腫の可能性も含めて対処されていたのですね。
Mamiko
早く気づけたのは、不幸中の幸いだったと思います。診断結果は、原発性リンパ浮腫でした。心の準備はできていたので、先生からそう言われても、「やっぱりね」「分かっていたよ」という感じでした。でも、「一生治らない」と淡々と言われたときは、さすがにショックで涙が溢れてきました。
編集部
リンパ浮腫について、少しは知識を持ち合わせていたとはいえ、「一生治りません」という言葉を現実として受け入れるには、時間がかかったことと思います。
Mamiko
「治る可能性はまったくないのですか?」「新しい治療法ができる可能性は?」と、すがるような思いで先生に尋ねましたが、「完治は期待できない」ということでした。治らないことは、自分でもなんとなく気づいていたのですが、当時インターネットなどで調べても原発性リンパ浮腫の情報はほとんどなく、「成長したら、リンパ管ができて完治するかもしれない」などという淡い期待を抱いていました。でも、そうした希望も打ち砕かれ、「私のこれからの人生にどんな影響が出てしまうのだろう…」と不安に感じていたのを覚えています。
コンプレックスのかたまり
編集部
学校生活を送るうえで、困ったことはありましたか。
Mamiko
発症当時、中学では卓球部に所属していました。太ももがパンパンに腫れていましたが、最初のうちは学校では弾性ストッキングを履かず、みんなと一緒にランニングしたり、練習したりしていました。みんなと同じように、普通に過ごしたかったのです。
でも、リンパ浮腫と診断されてから、学校にいくときもストッキングが必要になりました。片脚だけ茶色く分厚いストッキングを履いていると、周囲から「何履いているの?」「義足みたい」と言われることもありました。言っている本人に悪気はなく、ただ知らないだけということは分かっていたので、私も「義足じゃないよ」と笑って返していましたが、本当は悲しい気持ちを押し殺すので精一杯でした。こんな気持ちのまま、中学・高校時代は、ずっとコンプレックスを抱えて過ごすことになりました。
編集部
多感で傷つきやすい少女時代にリンパ浮腫を発症したことで、様々な心の葛藤などもあったのではないでしょうか。
Mamiko
心がすごく不安定で、夜、マッサージをするとき、自分の浮腫んだ脚を見ては、「なんで私だけ……」と泣いてしまうこともよくありました。心の中では、「誰も人の脚なんて見ていない」と思っていても、やはり毎日制服を着るたび、脚を出すことには抵抗がありました。また、友達がダイエットやおしゃれの話をしているときも、自分だけ仲間の輪に入れない気がしていました。
編集部
友人関係で悩んだことなどもありましたか?
Mamiko
高校生になると、新しくできた友達と一緒にテニス部に入りました。でも、高校に入ると、リンパ浮腫の症状が右脚にも出るようになり、テニスを続けることは断念しました。その時の私は、テニスを続けたいというより、せっかくできた友達と過ごす時間を失うことが悔しくてたまりませんでした。顧問の先生がマネージャーとして部に残ることを提案してくださったおかげで、卒業までみんなと一緒に活動することができました。
編集部
友達には、リンパ浮腫のことは打ち明けていたのですか。
Mamiko
仲のよい友達にはそれとなく話していましたが、今のように気楽に打ち明けることはできていませんでした。プールの授業や修学旅行のお風呂のとき、「脚が浮腫むからストッキングを履いているの。少し太いんだけど気にしないでね」と勇気を出して言ったのを覚えています。
言ってしまえば楽になるのは分かっていましたが、言うきっかけもなかったし、勇気もなかった。それに、コンプレックスを自分から話すのはやっぱり恥ずかしい気持ちがありました。
家族で続けたセルフケア
編集部
誰にも話すことができず、自分一人でリンパ浮腫のつらさと向き合っていたのですか。
Mamiko
素直に気持ちをぶつけられるのは母だけでした。「だるい」「つらい」「しんどい」。リンパ浮腫になってしまった悲しみを、八つ当たりというかたちでいつも母にぶつけていました。
「なんで私だけこんななの?」「いつ治るの?」「治らないの?」。今思うと、なんてひどい言葉を母にぶつけていたのだろうと思います。当たり散らす私に、母は気安く「大丈夫!」ということはありませんでした。恐らく母として責任を感じ、申し訳ないと思っていたのだと思います。
編集部
一番の理解者と分かっていながらも、そのときのMamikoさんにとって、行き場のない怒りをぶつける相手はお母様しかいなかったのでしょうね。
Mamiko
思春期ということもあり、母への当たり方はひどかったと思います。にもかかわらず、母は毎晩、私の脚をマッサージしてくれました。私が自分でマッサージすると、泣き出してしまうからです。母がマッサージし、私がバンテージを巻く、そんな生活を中高約5年間続けました。
編集部
毎日続けるのは大変だと思いますが、手を抜いてしまった日はなかったですか。
Mamiko
頑張らなかった日はなかったですね。中学も高校も制服だったので、制服からのぞく脚が少しでも細く見えるように、寝る前にしっかりケアするのが日課になっていました。朝、私が外したバンテージを父が元の状態に巻き直してくれたり、家族総出でサポートしてもらいました。
編集部
1日も欠かさずケアを続けるのには、Mamikoさんにも大きな負担だったと思います。
Mamiko
高校は進学校に通っていたので、塾から帰ってきたら、お風呂に入ってすぐに寝たいし、勉強もしたい。毎晩、マッサージやスキンケアにかける1時間を他のことに使えたらと思うことが何度もありましたが、「ケアを怠ると、恥ずかしくて人に見せられないくらい脚が浮腫んで、明日学校に行けなくなるかもしれない」という恐怖が大きく、どんなにしんどくても続けていました。
編集部
みんなと同じように学校生活を送りたい。その一心で頑張って続けられたのですね。
Mamiko
みんながやることは自分もチャレンジしました。体育祭で裸足になる競技もストッキングを履いたままドロドロになりながら参加しました。母はストッキングの洗濯が大変だったと思います。修学旅行などの宿泊を伴うイベントでは、大部屋だとマッサージできる場所やストッキングを履く場所がなく、いつも通りケアするのはなかなか大変でした。
編集部
高校生のときに、手術もされていますが、何かきっかけはあったのですか。当時はまだ情報も少なく、不安も大きかったのではないでしょうか。
Mamiko
発症時は左脚だけでしたが、高校1年生のときに右脚も太くなってしまったのが、一番のきっかけです。
当時、まだLVAの症例も少なく、原発性の例もほとんどありませんでした。それでも、発症からまだ日が浅いこと、浮腫の状態が比較的軽度であることから、手術による効果が期待できるといわれ、決心しました。術後、目に見えるような変化はありませんでしたが、10年以上たった今も症状が進行していないのは、LVAのお陰かもしれません。
親元を離れて
編集部
中学、高校のころは、つらくて泣いてしまうこともあったというMamikoさんですが、大人になっていく過程で、変化はあったのでしょうか。
Mamiko
大学生になり、親元を離れて独り暮らしを始めると、よい意味で、手を抜くことを覚えました。1日くらいバンテージを巻き忘れても、悪化することはなかったので、「そんなに神経質にならなくてもいいかも」と思えるようになったんです。制服でなくなり、脚を出さなければいけないという恐怖から解放されたことも大きかったと思います。
大学時代は下宿をしていて、友人も下宿生が多く、夜、ストッキングを脱いだ後、急に誘いが入り、近所だとストッキングを履かずに出かけることもありました。もちろん、翌日浮腫んで、後悔することもありましたが。
編集部
かなり思い切ったチャレンジですね(笑)。
Mamiko
中学・高校時代は、コンプレックスのかたまりで、毎日息の詰まる生活をしていました。でも大学生になり、ファッション次第で脚を隠すことができるので、脚が腫れることへの恐怖が徐々に消えていき、思い切ったチャレンジができるようになったんです。挑戦して後悔するか、挑戦しないで後悔するか、自分の気持ちと体調を天秤にかけて、判断するようになりました。
カナダのバンフ国立公園にて。
長時間のフライトは大きな挑戦でしたが、無事行くことが出来て良かったです。
編集部
肩の力が抜けて、少し生きやすくなったのではないでしょうか。
Mamiko
そうですね。大学時代は、気心の知れた家族のような仲間に囲まれ、受け入れてもらえるという安心感からリンパ浮腫を恥ずかしいと思わなくなってきました。そして、社会人になったときには、抵抗なく自分から話せるようになっていました。昔の自分からは、考えられない変化だと思います。
編集部
ちなみに、リンパ浮腫であることを誰かに伝えるとき、Mamikoさんはどのように説明されていますか。
Mamiko
「浮腫みやすい体質で、医療用のストッキングを履かないと生活できない」というふうに説明することが多いです。続発性リンパ浮腫の方と違って、発症のきっかけが分からないため、うまく説明するのは難しいのですが、自分から打ち明けることで、周囲の理解も得られやすいと感じています。
大学の友人とラフティング!(前列中央)
ウェットスーツを着る川遊びは感染などの不安が少なく、心おきなく楽しめました。
新しい治療を夢みて
編集部
リンパ浮腫の経験は、仕事選びにも影響しているそうですね。
Mamiko
大学卒業後、最初に入社したのは医薬品の開発を行う会社でした。医療の最先端で仕事をしていれば、リンパ浮腫の最新情報や治療薬の開発過程を知ることができるかもしれない。「一生治らない」と言われても、やはり、希望は持ち続けていたかったのです。
編集部
現在も医療関係のお仕事をされていると伺いました。
Mamiko
現在は、医療機器の開発を行う会社で働いています。実は、テレビで encycloのことを紹介しているのを見たとき、医療用の弾性ストッキングが「医療機器」であることを初めて知り、興味を持ったんです。薬だけでなく、医療機器も患者さんの生活を支えている。そう考えると、その開発に携われるのは幸せなことだと思います。
自己肯定できた瞬間
編集部
最近、もう一つ大きな出来事があったそうですね。
Mamiko
はい。実は、2年前に結婚しました。昔から、自分のことが嫌いで、「私は人とは違う」「面倒くさい身体をしている」と思って生きてきました。恋愛はしたいけど、自分のことは知ってほしくない。自分ですら大嫌いなのに、こんな自分のことを好きになってくれる人なんていない、そう思っていたのですが-。
編集部
そうでなかったようですね(笑)。ご主人との出会いについて、教えていただけますか。
Mamiko
大学1年生のときからの付き合いでしたが、リンパ浮腫のことを打ち明けるまで、結構時間がかかりました。思い切って打ち明けたところ、彼の反応は、驚くでも嫌な顔をするでもなく、特に気に留める様子もなく、私の方が拍子抜けしてしまいました。
私は、自意識過剰なくらい、リンパ浮腫である自分のことを、「恥ずかしい」「イケてない」と思ってきました。でも、リンパ浮腫も含めて、私自身をきちんと見て、好きになってくれる人と出会えたことで、初めて自分を認め、自己肯定することができるようになりました。
編集部
「リンパ浮腫だから」ということを抜きに、一人の人間として接してくれたことが、Mamikoさんにとっても、大きな自信につながったのですね。
Mamiko
大学時代に彼と出会えたことで、その後の人生は、かなり前向きに、積極的になれたと思います。彼は、私の明るいところが好きと言ってくれます。つらいこともたくさんありましたが、笑顔で頑張ってきて、良かったと思っています。
編集部
一緒にいて嬉しいと思うときは、どんなときですか。
Mamiko
私は脚が隠れるロング丈の服を着ているのですが、背が低いため、バランスよく見える服選びには、いつも苦労しています。一緒に買い物に行ったとき、彼が「脚がちょうど隠れていいんじゃない?」と、私と同じ立場に立って、さりげなくアドバイスしてくれたりするのは嬉しいですね。
学生時代からファッションに制限も多く、友達と買い物に行っても、服によっては試着した姿を見せるのを躊躇していました。でも、彼には隠さず相談することができます。何でも優しく受け止めてくれる、かけがえのない存在です。
10年越しに伝えた「ありがとう」
編集部
お母様も安心されたのではないでしょうか。
Mamiko
結婚式で、初めて母に感謝を伝えることができました。学生時代、毎晩当たり散らしてしまったこと、それにもかかわらず、いつも優しく寄り添ってくれたこと、本当に言い表せないくらい感謝しているのですが、なかなか言葉で伝える機会がなかったので-。
編集部
ウエディングドレスを着た感想はいかがでしたか。
Mamiko
ウエディングドレスは裾が長く、脚が出ないので、コンプレックスを感じずにいられました。振り返ってみると、卒業式の袴も、成人式の振袖も、ウエディングドレスも、人生の節目の写真には脚が写っているものはありません。そう思うと、私の人生の節目のアルバムには、コンプレックスに苦しむ姿の私はいません。そこには、いつも笑顔の私がいます。
結婚式での1枚。
脚の見えないウエディングドレスはコンプレックスを感じずにいられました。
パンプスは脱げにくいよう、ストラップ付を選んでいます。
編集部
日々の生活の中では、不便なことなどはありますか。
Mamiko
いつもストッキングを履いているので、お風呂掃除など、濡れる家事は気を使いますね。もうストッキングを脱いでしまったからといって、スーパーに行くのをやめる日もありますが、「まぁ、いいよね」「しんどいし」と素直に口に出せるので、息が詰まるようなこともありません。
あの時の私にかける言葉
編集部
ご主人と出会えたことで、リンパ浮腫ともうまく付き合えるようになったようですね。
学生時代はご苦労も多かったと思いますが、そんな当時を振り返り、リンパ浮腫を取り巻く環境が、今後、どうなればいいと思いますか。
Mamiko
リンパ浮腫の認知度がもっと上がってほしいと思っています。当時、私があんなに悩んだのも、誰もリンパ浮腫を知らなかったからです。知らなければ、「何あれ?」となるのは当然です。「あぁ、リンパ浮腫なのね」と、そんなふうに受け入れてもらえたら、あの時の私は、毎日泣くこともなかったかもしれません。
編集部
若くして発症し、同じように悩んでいる中高生たちに、何かメッセージがあればお願いします。
Mamiko
そうですね、何と言えばいいのか。いい言葉が思いつきません。私が声をかけたくらいで、日常の息苦しさが消えるわけではないこと、それを一番よく知っているのは私自身ですから。
もし、あの時、「みんな気にしてないから大丈夫だよ」と言われても、私は「私の生きている世界はそんな世界じゃない!」と反発していたでしょう。当時の私が生きていたのは、周囲に寛容な大人の世界ではなく、ちょっとしたことが噂や陰口につながる思春期特有のコミュニティでした。そこが、私にとっての全世界であり、リンパ浮腫という悩みを抱えた私には、とても孤独で生きづらい世界だったのです。
だからこそ、私はリンパ浮腫の認知度が上がり、病気を抱えた人たちが、今よりもっと生きやすい世の中になる、そんな日が来ることを願っています。
編集部
「かける言葉が見つからない」というのは、つらいご経験をされたMamikoさんだからこそ言える言葉なのかもしれません。
リンパ浮腫を受け入れることができなかった学生時代を経て、次第に上手に付き合えるようになり最大の理解者も得た今、思うことはありますか。
Mamiko
確かに、私には、人と同じようにできないことはたくさんありました。でも、大学時代に水着を着て海に行けなかったからといって、人生マイナスかというと、そんなことはありませんでした。私の人生は、トータルで見たらきっとプラス。今になってようやく、リンパ浮腫と生きる人生も、そんなに悪くないと思えるようになりました。
編集部
「私の人生、トータルでプラス」と前向きに明るく語るMamikoさんの姿には、自己肯定感が低く悩んでいた昔の面影はありません。真摯にリンパ浮腫と向き合ってきた姿は、多くの方に勇気を与えてくれると思います。Mamikoさん、ありがとうございました。
リンパ浮腫をがんの後遺症と紹介される度に、いつも違和感と置いてきぼり感を感じる原発性リンパ浮腫の一人として、今回原発性リンパ浮腫の方の体験談をご紹介できることを楽しみにしていました。
しかも、お話を伺うのは、思春期にリンパ浮腫を発症した、まだ20代の女性です。思春期と言えば、徐々に自我が芽生えて、自分と周りとの違いが見えてくる頃。どんなつらい体験が出てくるのだろうと身構えていたのですが、目の前にいるMamikoさんは幸せオーラを発する女性でした。
学生時代からリンパ浮腫と向き合ってきた体験は、人格形成に大きく影響を及ぼしていると思いますが、人への思いやり、優しさと共に、芯の強さを持つ、Mamikoさんの人間としての魅力に繋がっていると思いました。
「リンパ浮腫の認知度を上げる」ことは以前から私たちの目標でしたが、若年層のリンパ浮腫の方にとって非常に重要であることを、改めて強く感じました。(編集部)
<文:Emily Nagaoka>