「リンパ浮腫とともに、人生おもしろく」 小藪 怜子


              「リンパ浮腫とともに、人生おもしろく」 小藪 怜子

専業主婦として幼稚園に通う子どもたちの育児に奮闘していた矢先、子宮頸がんが発覚した小藪怜子さん。手術の傷も癒えないうちに、リンパ浮腫を発症しました。
元々前向きな小藪さんですが、リンパ浮腫が一生付き合わなければならない疾患だと知り、「ポジティブになれない時期があった」と話します。不安な日々のなか、再び前を向くきっかけになったのが、専門病院での外科手術でした。
今は、「せっかくの一生を楽しく過ごしたい」と話す小藪さん。今日までの心の変化について伺いました。

enStylers:リンパ浮腫とともに、自分らしくstyleをもって生きるひとたち

 

姉妹そろって「がん」に

encyclo Style 編集部(以下、編集部)

がんが発覚する前は、どのような生活を送っていたのでしょう? 

 

小藪怜子さん(以下、小藪) 

長男の出産を機に専業主婦になり、長女にも恵まれ育児に専念していました。長男が年長、長女が年少のとき40歳を迎えたのですが、ママ友から「40歳になったら体にガタが来るから、健康診断に行きや」と言われて。ちょうどその頃おりものに違和感があり、「健診で相談すればいいか」と、初めて受診してみたんです。 

結果、「婦人科で再検査が必要」とのことで、すぐに近所の総合病院に行きました。医師は最初、「異形成(※)かな?」と話していましたが、内診が終わると顔色がガラッと変わって。すぐに子宮の検査を受けるよう勧められ、2019年の9月に子宮頸がんだと分かりました。 

※)子宮頸部異形成とは、子宮頸がんの前段階(前がん病変)のこと。病変の程度によって軽度、中等度、高度・上皮内がんに分類され、数年以上かけて子宮頸がんに進行する。ただし、軽度や中等度の場合、経過観察の間に自然治癒することもある。

 

 

編集部 

お子さんもいらっしゃるし、不安になりましたよね…。 

 

小藪

医師から告知を受けたときは、とくに落ち込むこともなく「やっぱりな」と思いました。医師から「無理して平静を装ってないですか?」と心配されたくらい、普段通りだったみたいです(笑)。

実は、私の姉も同じ年の6月に乳がんと分かり、8月に手術をしたばかりでした。姉ががんと分かった時、「がんやからって死ぬわけちゃうし、死ぬ気もないわ」と話していたのが印象的で、「お姉ちゃんが大丈夫やってんから、私も大丈夫」と思えたのかも知れません。

あと、医師から「今の段階なら、手術で取り切れる」と言っていただけたのも、気持ちを保てた大きな要因だったと思います。がんと診断された直後、姉に「やっぱり、がんやったわ!」と報告したら、「おー!入院グッズ貸したるわ!がはははは!」と二人で笑い合ったことを今でもすごく覚えているんです。お互い、がん仲間ができて嬉しかったのかも知れませんね。 

 

編集部 

お子さんたちには、どのように伝えましたか? 

 

小藪

長男の幼稚園最後の運動会を控えていたので、子どもたちには運動会が終わってから、「ママの体に悪いところが見つかったから、ママのお姉ちゃんみたいに病院で取ってもらうね」と伝えました。姉のお見舞いに一緒に行っていたので、子どもたちは割とスムーズに理解してくれたと思います。「病院で会えるから、大丈夫だよ」と伝えて、運動会の2日後に入院しました。 

 

手術2日前の運動会にて。子どもを脚に乗せて座ることも、今は難しくなってしまいました。

 

 

子どもと公園で走れない悔しさ

編集部 

術後1ヶ月半で、リンパ浮腫と診断されたそうですね。 

 

小藪

術後2週間で、既にお尻から太ももにピリピリとした痛みがあったので、かなり早い段階で発症していたんだと思います。 

リンパ浮腫については、退院直前に病院からいただいた冊子で知りました。退院後、予防のために自己流で市販の着圧ソックスを履いて寝たら、私には合っていなかったのか、翌日にはそけい部と太ももが重だるくなり、痛みも悪化してしまって。「これはマズい!」とすぐ病院に駆け込んだところ、12月の頭にリンパ浮腫だと診断されました。 

 

編集部 

リンパ浮腫と診断されたときの気持ちを伺ってもいいですか? 

 

小藪

術後の傷も癒えておらず、排尿・排便障害も残っていた時期に新たな疾患を告げられるのは、まさに絶望の上塗りでした。特にリンパ浮腫は「完治しない」、「一生付き合っていかなければいけない」という点が、精神的にキツかったです。 

座るとか立つとか、今まで当たり前にできたことが難しくなり、「やりたいことができない」、「これをやったら辛くなる」と、何事にも前向きになれなくなって。私は、高校は陸上部、大学は体育学部だったくらい体を動かすことが好きなので、子どもたちと公園で走り回れなくなったのが、一番悔しかったです。 

 

体を動かすことが大好き。子どもたちと川遊びにもよく出かけていました。

 

 

前向きさを取り戻した外科手術

編集部 

その後、外科手術を受けたそうですね。手術はすぐに受けられたのでしょうか? 

 

小藪

最初はがん治療を受けた病院のリンパ浮腫外来に通っていたのですが、そこはドレナージのみで手術はできなかったんです。自分で色々と調べるうちに外科手術(LVA)の存在を知り、主治医に「何とか手術を受けられないか」と相談してみたのですが、手術できる病院が他県で。当時はコロナ禍だったので、他県の病院への紹介状をいただける状況ではありませんでした。 

それでも「何とかしたい」と主治医に相談し続けていたら、2021年の夏に「近くにリンパ浮腫の専門病院が開院する」と教えていただいて。すぐに受診したところ、「今なら正常なリンパ管があるから、手術すれば良くなる」と言われ、迷わず1回目の手術を受けました。 

 

編集部 

術後、症状は改善しましたか? 

 

小藪

あくまで私の場合ですが、感動するくらい改善してかなり生活しやすくなりました。なので、術後の経過を見ながら8ヶ月後に2回目の手術を、さらに半年後には懸念だった脚の後ろ側の症状を改善するため、3回目の手術を受けました。3回目の手術でようやくひざ裏の腫れがなくなり、ひざを曲げやすくなって、「よっしゃー!」と思いましたね。 

 

リンパ浮腫発症後に、自分に合うサイズを探し回って購入した電動自転車。
これまでの電動なし自転車だと、片道15分の幼稚園への送迎をすると翌日に発熱してしまうほど負担を感じるように…。

 

 

編集部 

手術を受けたことで、精神面にも影響はありましたか? 

 

小藪

リンパ浮腫と診断されたときは、「一生」という言葉を重く感じていましたが、手術をきっかけに「ケアがうまくいって症状が改善する嬉しさ」を実感して、前向きさを取り戻しました。「一生付き合わなあかんのなら、ある程度割り切らんと人生おもしろくないな」と。 

子どもたちとの水遊びなんて諦めていたんですが、思い切って医療用タイツを履いたまま、川の浅瀬で子どもたちと遊んでみたんです。遊んでいるときはめっちゃ楽しかったんですが、濡れた医療用タイツを脱ぐのが大変すぎて、「もう二度としない!」と誓いました(笑)。でも、この経験から、少しの水遊びなら脚を覆うトレンカ型の水着を履けばできると分かりました。 

 

リンパ浮腫発症後は、水遊びのときはテントで見守り担当に。

 

 

編集部 

日常動作でさえ不便なことも多いなか、そこまでチャレンジできるのはなぜでしょう? 

 

小藪

やっぱり、リンパ浮腫を抱えていても楽しく生きたいし、子どもたちにとって「おもしろいお母さん」でいたいんです。

手術を経て、できないことに落ち込む前に、できる方法を探すようになりました。それでも無理なら「これはできないな」と割り切って、できる範囲で楽しむようにしています! 

 

娘からのラブレター。おもしろいと言ってもらえて本望です。

 

 

頼ることで相手も学べる

編集部 

育児や家事をこなすために何か工夫されていることはありますか? 

 

小藪

育児については、夫が子どもたちと遊ぶのが大好きなんです。いつも家族を楽しませてくれて、感謝しています。 

 

リンパ浮腫発症後は、水遊びはもっぱらパパにお任せ。
子どもたちと遊ぶのが大好きな夫で、助かっています。

 

私自身は辛いときは我慢せず、「今ママ、脚がしんどいねん」と話して家族に頼っています。その時に大切なのが、「完璧を求めないこと」ですね。洗ってもらった食器に少し汚れが残っていても、「ありがとう」で終えるように心がけています。元気なときは、「汚れ残ってるやん!」って注意しますけどね(笑)。

 

編集部 

周囲に頼るとき、「申し訳ないな」と思う人もいますが、小藪さんはそんなことはないですか? 

 

小藪

家族に頼ることで私が休めるだけでなく、相手も家事や自主性を学べるので「お互いにメリットあるやん」と自分に言い聞かせています。

病気になる前は、子どもたちに対して「あれもこれもやってあげたい」と思っていたんですよ。でも、病気になってからは「自分でできることは、自分でするように」と教えています。 

 

家事はみんなで協力 。
我が家のお小遣いはアルバイト方式です!

 

 

編集部 

小藪さんは、幼稚園のPTA役員もされていたと伺いました。PTA活動や、幼稚園の行事参加はどのように乗り越えたのでしょうか? 

 

小藪

PTA活動は、重い物を運ぶといった体力的な仕事もあったんです。そんなときは、他の役員のママたちが、「私たちがやるから、無理せんでいいよ!」と明るくこなしてくれました。その代わり、私が得意な事務作業を任せてくれたので、変に気遣うこともなく助かりましたね。 

園行事は、お遊戯会など1~2時間座りっぱなしで辛かったです。会場の後方の端で脚を上げたり、夫の席に脚を上げたりして見ていました。先生たちも声を掛けてくださったり、席を用意してくださったりしてありがたかったです。幼稚園ではママ友や先生たちの優しさに支えられました。 

 

がん闘病中もリンパ浮腫発症後も、つらい時期を支えてくれた幼稚園のPTAメンバー。

 

 

経験を誰かのために活かしたい

編集部 

病気のことを周囲に言いづらい人も多いなか、小藪さんは周りの人に頼るのが上手だと感じます。 

 

小藪

私もがんになった当初、親しい友達でも病気のことを話せなかったんです。がんになった事実を、心の中で消化しきれていなかったのかな。でも、時が経って気持ちが落ち着くにつれて、「私と同じ思いを誰にもして欲しくない」という気持ちが強くなっていきました。 

そんなときに大学の同窓会があり、「今日みんなに話そう!」と思って病気のことを友達に打ち明けてみたら、私の話をきっかけに婦人科検診を受けた人や、私の脚を気遣って「脚をさすってあげたら、少しは楽になる?」と声を掛けてくれる人が出てきました。

そこから、「私の経験が、誰かのためになったらいいな」と思うようになったんです。

 

大学の友人たち。
何年たっても変わらない大切な友人だからこそ、 
自分と同じ思いを誰にもしてほしくない。

 

 

編集部 

今後、挑戦したいことはありますか? 

 

小藪

2年ほど前から在宅ワークで事務のパートをしているんですが、仕事に集中し過ぎると脚が重だるくなることがあって。手術で症状が改善されたとはいえ、やっぱり「一生付き合わなければならない疾患なんだ」と痛感しています。 

今は、仕事の幅を広げたくても動作に制限があるので、どんな仕事ができるか、何に挑戦できるのかが分からず、悩んでいます。リンパ浮腫患者の皆さんに、どんな働き方をしているのか伺ってみたいです。 

 

編集部(水田)

働き方で悩む方は結構いらっしゃいます。ただ、数年経つと「どの動作をどれくらいできるのか」が徐々に安定してきて、「この動作は2時間くらいなら大丈夫」など、把握できるようになる方が多いです。  

自分の症状の特徴が把握できると、職場に相談しやすくなるし、工夫もしやすくなります。例えば、私は在宅勤務が中心なので、昇降デスクを使って作業したり、脚を曲げ伸ばししながらリモート会議に出席したりしています。

他にも、不動産のショールームで働く方や、看護師として働く方、趣味のバイクをお仕事にされている方もいらっしゃいます。皆さん、少しずつ挑戦の幅を広げていますよ。 

 

小藪

そうなんですね!自分の症状の特徴が把握できれば、活動の幅も広げられそうですね。今まで他のリンパ浮腫患者の経験談を聞く機会がなくて、1人で悩むこともあったんです。今回お話しした私の経験談も、少しでも誰かのためになれば嬉しいです。 

 

 

Editor‘s Comment

「頼ることで、相手も学べる」という言葉が印象的でした。
家族や友達に頼ると「申し訳ないな」と思ってしまいがちな私。頼った相手が気持ちよく手伝ってくれても、今まで勝手に気負っていましたが、これからは「お互いさま」の気持ちで、周囲の人に上手に頼りたいと思います。
それが「人生を楽しく生きること」への第一歩なのかも知れません。(ライター・笠井)

 

 

<文:笠井ゆかり>


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